胡椒
ペッパーは同じ料理に3度使われると言われるほど汎用性が高く、スパイスの王様と呼ばれている。原産はインドだが、現在は世界の熱帯地域で幅広く栽培されているつる性植物の一種。採取するタイミングや果実の処理方法などによって、グリーンペッパーや黒胡椒、白胡椒などに分けられる。南米では完熟した実を赤胡椒として使用するが、日本で使用されるピンクペッパーは胡椒とは別種の植物「コショウボク」の果実を表す場合が多い。
胡椒とチョコレートって、相性がいいのだろうか。
近年、定番とは言い難いスパイスの使い方をよく見かけるが、個人的に甘いものに辛みのあるスパイスを合わせているものが気になっている。
山椒のチーズケーキとか、七味のマカロンなんてものも。ジンジャークッキーなんかは昔からあるけれど。
中でも最近よく私の前に顔を見せるのが胡椒とチョコレートの組み合わせ。
先日訪れたイベントで、胡椒のガトーショコラをいただいたんだけど、それを思い出して冷蔵庫に長く置いてあったこんなものを取り出してみた。
今年のバレンタイン近くに友人のお店で売っていたもの。今よく見たら賞味期限が数週間後に迫っていた。あぶねぇー。
折角だから食レポをしてみよう。
伊シチリアで最も古くからあるチョコレートショップ「Antica Dolceria Bonajuto」(アンティカ・ドルチェリア・ボナイユート)の古代チョコレートというもの。その中の白胡椒というフレーバーで、パッケージにも胡椒のような植物の絵が描かれている。
↑植物の胡椒はこんなかんじ。パッケージの絵にちょっと似てるよね。
チョコレートを割った断面が砂糖の粒でキラキラしているのは、あえて粒を残すように低温で作られているかららしい。
噛めば砂糖のシャリシャリとした食感。以前も別のフレーバーを食べたことがあるが、この食感が好きなのだ。チョコレートはそれほど甘くない。
胡椒の感じは?わからん…と思いきや、チョコレートが溶け切ったあとに突如“それ”が訪れる。
ほんの少し喉の近くで胡椒のピリッとした辛み。ただ、それはすぐ消え、ちょっとあっけないかなーと、2口、3口と食べ進めていると…
ん?どんどんと舌に熱が帯びてくる。胡椒の辛みによる熱だと思う。
なにこれ、めちゃくちゃ美味しい。そして口内の感覚がなんだかおもしろい。
山椒をかけすぎたうなぎを食べた後のような、ずっと舌に残る感じに似ている。胡椒でこれを感じたことはなかったなぁ。
冒頭のイベントで食べた胡椒のガトーショコラは、粗びきの黒胡椒が振りかけてあって、ガトーショコラを食べながらたまに胡椒の粒を噛んでは刺激的なパンチが飛んでくるという感じだったが、このチョコレートはそれとはまた違う。
うーむ、スパイスとスイーツの組み合わせ、侮れん…。
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甘いものと辛いもののセットというのは、まるで私の両親のようだ。娘に甘い私の父と思ったことはズバッと言うピリリな母。以前もどこかで両親のことを話したかもしれないが、今回も少しだけ私の両親ばなしにお付き合いいただこう。
この度、私の父と母は現在住んでいる家、所謂“私の実家”を手放すことに決めた。
私にとっては18歳まで育った家。それが解体され、更地になるのだ。
実家は、一家で東京から移住してきたときに購入した中古住宅なのだが、元々は船医をしていたオーナーさんが建てたもので、この年代の物件には珍しい西洋式だった。階段の手すりや玄関のドアには彫りが入っていたり、水回りには大きな花柄のクロスが貼られていたりと、こだわってつくられたのが分かる細かなディティールが素敵だった。もちろん、住んでいるときには思いもしなかったんだけれど…。
ということでこの夏、私たち一家と弟家族が久しぶりに実家に大集合し、家のお別れ会をおこなった。
田舎特有の広い庭でバーベキュー。毎年この時期に咲くサルスベリの花が高い木の上でゆれ、アゲハ蝶が当たり前に飛んでくる。セミの抜け殻を見つけ、姪と一緒になって服にくっつけて遊ぶ息子。
そんな光景を尻目に、私は思い出に耽っていた。ここで過ごす時間が最後となると、どうしたって感傷的にもなってしまう。
私と一緒でズボラな父は、毎年庭仕事を放置して母に怒られていたな、とか。
雪かきした雪を山にしてソリでよく遊んだな、とか。
住まいというものはどこにでも記憶が転がっているものだ。
そして我が家には食に関する思い出が圧倒的に多かった。
毎朝煙草を吸いながらコーヒーを飲む両親。
母が自分の城であるキッチンから「ごはんできたよー!」と声を上げる姿。
テーブルにのりきらない程の料理が並ぶ誕生日パーティー。
毎日の夕食でお酒片手にディベートが開催されるダイニング。
夕食後のリビングで母が剥いたフルーツを競い合って食べる私たち。
我が家の唯一の家訓は「食卓は楽しく」。とにかく食べることが大好きな両親と、その両親に育てられた食いしん坊な私たち姉弟にぴったりな家訓だとつくづく思う。
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さて、家を手放す両親が今後どうするかというと、弟の住む関東に移住するそうだ。
実はこれは私が提案したことでもあって、雪深い地域で年々老体に負担をかけるくらいなら、その必要が少ない地域に住んでもいいのではと思ったことと、交通の便があまりによくないため孫の顔をなかなか見せに行けないでいたことが理由だった。
この話をした時、母はとても乗り気だったが父はそうでもなかったので、正直本当に行動に移すとは思っていなかった。しかし何度か説得してみたら気づけば本当に動き出していて、なんなら知らないうちに実家が不動産売買サイトに掲載されていたのだ。この時はさすがの私も一言教えてよとは思ったけれども。
普通の夫婦はどうか分からないが、自分がこの年齢になってみて、うちの両親は仲がいい方なのかもしれないな、と思うようになった。どこか友達みたいで、ある程度思ったことは言い合えているのだろうと思うし、お互いが定年を迎えてからは旅行や映画など今まで以上にいっしょに出かけていることが多い。たまに写真が送られてくるのが娘としてはちょっと嬉しく、そしてちょっと鬱陶しい。
そんな二人だが、移住するといっても大したお金があるわけでもないので、実家を売ったお金で買える古くて小さくて安い家に住むのだそうだ。その新しい環境でどんな人やモノに出逢うのだろう。私は、これから二人に訪れる新たな旅が楽しみで仕方がない。
スパイスというのは、長い歴史の中でたくさんの旅をしてきたものだ。
香辛料貿易と名付けられた貿易もあるほどで、アジアや古代ギリシャ、ローマにアラブといった国々はスパイスを通してつながっていたと言っても過言ではないかもしれない。
15世紀半ばから大航海時代にはいると香辛料貿易はヨーロッパの貿易商たちの主な活動となった。中でも「胡椒」はヨーロッパにおいて極めて貴重な品として扱われ、胡椒が同量の金や銀と交換されていたという話もある。そもそも大航海時代の目的の一つが胡椒を中心とした東洋の香辛料の獲得だったとも言われている。
歴史的に見ても、胡椒と旅は切っても切れない関係があるということだ。
人生の第二の旅を始める我が両親。定年を過ぎた年齢で拠点を移動し、何を経験するのだろうか。
胡椒は収穫時の熟れ具合と収穫した後の処理で、風味の全く違う別のスパイスができあがるが、これは人間の経験にも似ているなと思う。もちろん胡椒のように4種類に分けることなんてできないけれど、人間としてどういうタイミングでどういう経験をするのか、それがその人にどんな影響を及ぼすのか。子どもの成長や教育でそういった話はよく聞くけれど、年老いた後の経験だって、その人をつくる大きな要素となると思う。
さて、私の両親は赤胡椒になっていくのか、黒胡椒になるのか、それとも…。
以上、今回は胡椒と移住を決意した私の両親についてのおはなしでした。